例年以上に おかんが大阪に遊びに来てます。
今年だけで 5回ぐらい遊びに来てます。
最近は僕に頼ることなく、
多治見を好き勝手に回るような感覚で
大阪の街を自分の庭にしつつあります。
誰か お気に入りのプレイメイトでも見つかったのかな。
今週末も遊びに来てます。
このままだと生態系最強生物「Osaka no Ova-haaan」と化し、
リアルアニマルプリントTシャツと黒スパッツで身を固めるのも
時間の問題かと思われます。
前回 訪れた鶴橋が今回も気になるらしく
事前から「鶴嘴に行くわ」って予告宣言してました。
僕が「こないだ鶴橋で買った『まかない明太子』美味かったわ」って
アピールしてたら、今日になってメールが来ました。
「予定どおり鶴嘴に来ました。
チヂミ と韓国のり巻きを買いました。
欲しいなら おすそわけするから連絡ください。」
ぉかぁーさぁーん。
おれが言うたん、ま・か・な・い・め・ん・た・い・こ!
でもって、なぜか おかんは いつまで経っても
「鶴橋」を「鶴嘴」ってメールに打ち込む。
工事現場ちゃうねんから。
最近は工事現場ですら鶴嘴を見ることはありません。
不朽の名作漫画「読売一直線」にて、スター☆一徹が手にしてた以来。
おかんの打ち込み間違いが直るまで、
僕も「尾野さん」をいつまでも「斧さん」と打ち込むつもりです。
JUNIOR
ユニホームの下にパッチを忍ばせてました。
白いパッチは野球用の白いソックスとコラボすると
王子様の白タイツになります。
白タイツと言えば保育園の発表会。
なぜか全員白タイツを穿かされました。
役柄が「お寺の小坊主」であっても
白タイツを穿かされてたような気がします。
寺に白タイツはあかんやろ。
白タイツ穿くなら、
せめて役柄は「修道院の小坊主」ぐらいでいきましょう。
「たぬき」役のひとは、先生に
「おかあさんに たぬきのお面を作ってもらいましょう」と言われ、
各々が家から たぬきのお面(Made by okaaan)を持ってきて
本番に向けて稽古してました。
あのときは「大人だからみんな絵が上手い」って思ってましたが、
決してそんなわけはなく、今思い出すと
けっこう残念な たぬきのお面もありました。
いちじく浣腸を上下さかさまにして、
それに耳と目と鼻をつけたような たぬき。
あのときは「世の中には こんなたぬきもおるんやろう」って
静かに納得してました。
そういえば、僕もたぬき役だったような気がしますが、
おかんが描いた たぬきがどんなんやったか覚えていません。
おかんは家で よく二人羽織りをしながら習字をするなど、
字を書く姿は印象強いですが、
おかんが描いた絵は全然覚えてません。
おとんに至っては、円を描く姿すら見たことがありません。
小さいころ、絵でわからないことは兄貴に訊いてました。
兄貴はコロコロコミックの巻末の読者コーナーに掲載されるくらい
絵が得意な引きこもり少年でした。
新聞の折込チラシで、裏面が白紙のものは落書きができるので
いつも兄貴と僕が取り合いをしてました。
弟は知能指数が くるぶしぐらいまでしかないので、
おもちゃ屋さんのチラシを眺めながら、いつも幸せそうな顔をしていました。
JUNIOR
はーさーみーをーふりーふーりー
しーおーまーねーきー♪
僕が音楽の授業で覚えた中で
一番ポップなメロディーのこの曲。
ともぞうは気に入りすぎて
先生からカセットテープを一晩借りて
自分の家でダビングしたほどです。
数々のモンスターが生息する
GTO(説明しよう!『Gifu-ken・Toki-shi・Oroshi-cho』のことである!)において
ともぞうも ひそかにいくつもの逸話を残した男。
ウエクサ(駄菓子屋さん)かコジマ(ファンシーショップ)で
ねりあめを買い、
「これが30円なんやて~。
お祭りとかやと100円もするのに儲けたて~。」
って喜びながら舐めてたら、
その数分後に何千円もする銀歯を剥がして玉砕してました。
社会見学で明治村に行ったとき、芝生の前で
「このトレーナー、おニューなんやて~。」
って、「押すなよ~」的なことを言ってきたので、
みんなでともぞうを芝生の上でコロコロ転がしまくって
新品のトレーナーを芝だらけにしたら、本気で怒ってました。
「鉄拳制裁」が社会的に問題視されつつあった移行期間、
少年団のコーチは「ブッチュ」という新たな兵器を開発し、
僕たちのファーストキスを片っ端から奪い去っていたころ、
ともぞうはコーチに練習中のミスを咎(とが)められて
「おいコラ!ともぞう!ビンタとブッチュのどっちがええねん!?」
と攻めたてられて、静かにクチビルを差し出した満点度胸。
かつては「ともしゃん」と呼ばれてたそうですが、
石拾の「ともしゃん」も「ともしゃん」と呼ばれており、
奇しくも小学校3年生で同じクラスになった2人の「ともしゃん」は
「ともしゃん」の称号を「たたいてかぶってジャンケンポン」で争い、
結果、石拾の「ともしゃん」に軍配が上がりました。
それから間もなく始まった国民的アニメ「ミニマルコちゃん」の
おじいちゃんの名に因(ちな)んで、
山神の「ともしゃん」は「ともぞう」になりました。
銀歯、トレーナー、クチビル、ニックネーム。
すべてにおいて悲劇の子供老人・ともぞう。
元気しとるかな。
JUNIOR
サンダル履きで出社しました。
初めは捻挫した側だけサンダルだったそうですが
もう片方に靴を履くと、何も事情を知らないひとからしたら
「あ。このひと、おっちょこちょいなひとだ」ってなるってことで
寒い足元を我慢して、両足ともサンダルにしたそうです。
小学生のとき、家でしか履かないようなつっかけで
登校することがありました。
通学路で「うわ!まちがえた!」って気付いて
急いで家まで引き返すんですが、
サンダル履きでベストタイムの走りをできるわけもなく
なかなかの辱(はずかし)めでした。
ランドセルを背負った子供達が一定方向に進む中で
ひとりだけ流れに逆らうことも、なかなかの逆風。
先生を呼ぶときに間違えて 「おかあさん!」って呼ぶほどじゃないけど、
けっこう恥ずかしかった思い出。
ランドセルのフタを知らずのうちに開けられて
立位体前屈をうながされて中身がバラバラバラバラ~とか、
席替えしたての翌日に元々の席に座っちゃったりとか、
トイレの個室利用が同級生にバレるとか、
「おっぱい」とかいう類の異性関連の下ネタ発言は御法度とか。
「あれをしてはいけない」、「これをしてはいけない」ってことが
今とは比べもんにならないくらい多いと思います。
だから僕は子供たちに「大人は大変なんだぞ」なんて言葉は
口が裂けても言いません。
JUNIOR
予定どおり、らくだハウスへ。
いつも僕のベスパのエンジン音が近づくと、
ハウスから ちびっこたちは溢れ出すように飛び出てきます。
おもちゃとクリスマスカードだけ渡して
すぐにおいとまするつもりでしたが、
子供たちにせびられて お決まりの手品を2、3発だけ披露。
ブリッジで見せる おさくんダンスは なぜかいつもスベります。
「次回は餅つき大会のときやね」と子供たちに言い残し、
僕は「サンタ狩り」の集合場所に向かいました。
街中で見かけたサンタクロースに
惜しげもなくカンチョーをメリークリスマる自己満足行事。
それが僕らの「サンタ狩り」。
ルーツは稲中の死ね死ね団が発端という説と、
高度経済成長の最中(さなか)に
ヒマを持て余した島根県の山賊たちが始めたという説があります。
我々ベニトカゲ団の集合場所のメッカであるカルピス公園には
すでに数人の団員が待ち構えていました。
ベニ!
トカーゲ!
点呼を済ませて今回のルート説明を行ないました。
メンバーの中に見覚えのない学ラン男子を見つけました。
名はツカサと言う。
どうやらこのハナクソブログの愛読書らしく
今回のサンタ狩りにどうしても参加したかったとのこと。
ふとツカサの手元に目をやると
人差し指だけが異様に太い。
なんや?その人差し指は?
僕が訊ねると
「この日のために人差し指立て伏せを毎日200回しました」と
ツカサは照れくさそうに答えました。
「ジュニア!連れてってやれよう!
こんな気合いの入ったヤング、最近はいないぜぇ~。
おれがヤングのころはよう、クリスマスとなれば
おれのトナカイがよう、そら~もう・・・・」
すでに酒にまみれたシズルさん(ベニトカゲ団最年長)が言うもんですから
ツカサも初参戦することに。
「ええか!くれぐれもサンタだけやぞ!
毎年言うてるけど、くれぐれもピザ屋の配達員をメリ間違うなよ!」
いくつかの注意事項を確認後、それぞれの持ち場へ。
僕は今年、近畿の奈良方面を担当しました。
気付けば明け方5時までサンタを追いかけました。
今年は7名のサンタをクロースしました。
再びカルピス公園に戻ると、泣きじゃくるツカサが居ました。
どないしたんや?
どうやら鍛え上げた人差し指で序盤に突き指をしてしまい、
それでも慣れない中指や薬指でカンチョーを続け、
最後の最後は小指だけでメリーした闘争心を仲間たちが誉(ほ)め称(たた)え、
ツカサは これに感極まってしまったそうです。
聞けば僕が3年前に記録した
最多タイとなる11サンタをクロースしたと語る。
初年度でこの天文学的数字をハジき出すとは
末恐ろしい団員が現われたものです。
帰宅した僕は夜明けの焼酎を傾けながら
自分の進退について、今一度見つめ直しました。
そして問う。
果たして、あといくつ朝を迎えれば
正月はやってくるんだろう。
7つやろ。
数えたらわかるやん。
JUNIOR
好きな飲み物は水とカレー。
人と話すと元気が出ます。
得意な球技は内野ノックです。