戦うひと。これすなわち「ファイター」。
僕が一方的に「親友」と呼ぶ男が
かつて僕のことを そう称した。
かわすことも戦術のひとつ。
しかし真っ向勝負、ガチンコでぶつかることは
戦闘における基本姿勢。
相手の拳も蹴りも全て受け止める。
これを伝家の宝刀、ジュニアチョップで玉砕する。
拳を交わさずして勝つことは最大の勝利。
そんな器用さは僕に無い。
「やー。勝負は先攻後攻のじゃんけんで決まるんや。
初めの握手で相手の右手を力いっぱい握り潰すんや。
やー。そしたら相手は握力が無くなって『パー』しか出せんわ。
お前が『チョキ』出したら、お前の勝ちや。
やー。今日は『先攻』選んで来いよ。」
闘将・河村監督は、キャプテンの僕にそう言い渡しました。
結果、僕は東濃大会の2回戦から、引退する秋の大会の泉との決勝戦まで
先攻後攻じゃんけんに勝ち続けた。
あれを作戦と呼ぶのか、単にイカサマと呼ぶのか。
盆までゆっくり考えます。
JUNIOR
他の動物は好きじゃありませんが動物園は好きです。
触れ合いが無いから。
珍しい動物を安全な位置から観察できるから。
柵を隔てたあの距離感が嫌だという声がありますが
僕にとってはあの安全対策が実にありがたい。
サファリパークは勘弁していただきたい。
近すぎちゃってどうしようって困る。
22年程前、幼稚園行事として東山動物園へ行きました。
後日、先生に「動物園での思い出を描きましょう」って言われて
僕はアメリカバイソンの絵を描きました。
そしてクラス(すみれ組)のみんなの前で
何を見たのか、何を描いたかをひとりずつ発表しました。
僕の番がやってきました。
「僕はアメリカバイソンを見ました。
僕はアメリカバイソンの絵を描きました。」
僕が描いたバイソンの片方の角(つの)が、
とんがってるんじゃなくて
途中でスパッと切ったように
たまたま台形のような形になってたから
「あれー?JUNIORくんのアメリカバイソンの角、
途中で折れとったん?」
って、どうでもいい質問をウカイダイスケがしてきました。
公衆の面前で質問をぶつけられた僕は
「ううん。ほんとはとんがっとったんやけど
僕が描くときに、うまく描けずに
カクカクってなったもんで、こんな風になっとるんやて。」
という真実を言うのが何だか恥ずかしくて
「うん。折れとった。」
と、根も葉もないウソで処理しました。
すると誰かが
「なんで折れたんやろう?ケンカしたんかな?」
「角って折れたら痛いんかな?」
「折れても また生えてくるんかな?」
って、意外にも話が膨らんでしまいました。
最終的には先生が
「じゃあ、次に この中でお父さんやお母さんと一緒に
東山動物園に行く子がいたら
JUNIORくんが見たアメリカバイソンに角が生えてるかどうか
確かめて来てくださ~い♪」
って、うまくまとめてくれました。
その後、誰からも報告は挙がりませんでしたが
改めて言います。
すみれ組のみんな。
角なんて最初から折れてませんでした。
僕の描き間違いです。
ウソついて すみませんでした。
以上、22年目の真実の告白でした。
キャバレークラブにお勤めのご令嬢から
「ゴールデンウィークに動物園に行った」という報告を聞き、
今回の謝罪表明を決意させていただきました。
JUNIOR
保安官ブログを拝見しました。
今日はキマタと笹幸にまつわる思い出話。
僕が岐阜に住んでるころ
近所に笹幸(ささこう)ってお菓子屋さんがありました。
その店先で、おじいちゃんが大判焼きを焼いて売ってました。
大判焼き、地方によっては今川焼きって呼ぶんですかね。
これが結構おいしくて、当時は甘いものを食べてた僕も
ことあるごとに大判焼きを買って食べてました。
僕の小・中学時代の漫才の相方・キマタは
この大判焼きが大好きで大好きで大好きで。
僕たちの漫才のコンビ名も
僕が好きな「モツ煮込み」と
キマタが好きな「大判焼き」から文字を取り
「モツ判焼き」にしようと言ってたほどです。
そんな大判焼き好きな相方・キマタを
喜ばせようと、僕は小学5年のころ
お手製の「大判焼き永久無料パスカード」を作りました。
「これを提示して頂いたら、いつでも大判焼きを
1つ無料で差し上げます。 笹幸」
普通のカードサイズの厚紙に
誰がどう見ても僕が書いたとわかる文章に
「笹幸」というウサン臭いサイン。
当然、こんなもんで大判焼きが無料になるわけがありません。
ところが僕がキマタにカードを渡すや否や
キマタは大喜びしてました。
キマタは自分が大喜びをする姿を見せることで
僕を喜ばせようとしてるんやね。
相方の気の効いた行動に、僕はええ相方を選んだなと
心の中で再認識してました。
そんな大喜びの数日後、僕のもとへ
これまた笹幸の近所に住む ムーくんが来て言いました。
「昨日、笹幸でキマタが大判焼き買おうとしとったんやけど
ワケわからん白い厚紙出して『1つください』って言い出したんやて。」
僕は、数日前のキマタが大喜びする姿を思い出しました。
「え?まじで?で?それからどうなったの?」
僕は訊ねました。
「それがね、おじいちゃんに『うちはそんなのやってないよ!』って
一喝されて、キマタは 『そーですか・・・』って言いながら、
厚紙を差し出したまま左90度にクルッと回って、そのまま帰ってったよ。」
ムーくんは一部始終を教えてくれました。
これが原因ってわけや無いけど、中学を卒業と同時にコンビは自然解散。
コンビ当時は、キマタがボケ担当で、僕がツッコミ担当。
コンビ生活の中で、キマタのボケが一番さえわたったのは
文句なしに このときです。
JUNIOR
新幹線に翼が生えたような いでたちの
空中移動型レストランに僕は乗り込んだ。
店内では働き者の看板娘たちが
各々のポジションで業務を行なう。
店の大将は調理で大忙しなのか、
単に照れ屋さんなのか、
客の前には姿を表わさない。
でも店内アナウンスにて存在を一応アピールする。
いつ聞いても渋い声。
これでもかという真っ黒なサングラスしてそう。
たとえ夜になって先が見えなくても。
これまた形も渋いやつね。
機内での食事を終え、一服がてら
目の前のモニターで映画を見ながら
感動の涙を流す。
みんな同じ方向向いて座っとるんやから
どうせ泣いてても誰にも気付かれやせえへん。
なんて思って堂々と泣いてたら、看板娘に
「ご気分どうかされましたか?」
って心配された。
男たるもの、女に涙を見せること無かれ。
女たるもの、男の涙は知らぬふりを通せ。
空腹が満たされ、涙は乾き、僕は店を後にした。
のれんをくぐると、そこは一面のニーハオ人民共和国。
JUNIOR
僕の実家は「下石中央商店街」に面して位置してます。
おもちゃ屋さん、写真屋さん、電気屋さんが並ぶその先で
さみしがり屋さんを実家は営んでいたほどの僕にとって、
4日間、日本にて放置プレーした携帯電話を
帰宅後に確認するのが楽しみだったりします。
話題を変えます。
ウンコの話に変えます。
出国時、入国時、
中国の空港、日本の空港で
手荷物検査やボディチェックによって
何か持ち込んでやしないかと
検査官の目が光ってました。
でも入国後に僕工場から初出荷されるウンコは
出国前に僕工場が現地で仕入れた食材によって
生産される製品なんですよね。
ウンコは検査官の盲点をつく密輸入だ。
これに気付きました。
ウンコが両国をつなぐ架け橋となるわけです。
「架け橋」ってのは単なる言葉の表現方法。
そんな架け橋がほんまにあったら
一休さんは どうやって渡るんやろう。
JUNIOR
僕が中国に居たことを知る彼は
僕に地震の影響の有無を問うメールをくれた。
冗談まじりながらも、そんな心配ふりかけを
僕ライスに味付けしてくれたのは彼だけでした。
僕は嬉しくて中国食材を調理し、おかずをごちそうした。
彼はその料理を「おいしい」と感じてくれたのか
彼が営む店でその料理を軽く振る舞ってた。
そんな彼のマグニチュードな行為が僕を更に喜ばせた。
岐阜からの長旅直後に夜中3時まで
大阪で10円ハゲに病む僕の話相手になってくれた保安官がいる。
「前の職場の女の子たちと飲むから今からおいで。ってか来い。」
と、日本で放置プレーしといた僕の携帯電話の電池が無くなるまで
不在着信を鳴らし続けてくれた岩村アニキもいる。
このような方々を世の中では
「親友」と呼ぶんやと思います。
彼らが金に困りサラ金に手を出す際
連帯保証人になるという覚悟は自信を持てませんが、
彼らのアパートにて、ドンドン!金返せって
ドアを肩たたきする前年度M-1王者のようなおにいさんに対して
「あんた山田さんの知り合いかい?
あたしも困ってんだよ。
家賃8か月分も払わないまんま急にドロンだよ。
お隣さんに『鳥取でラクダ乗りになります』とだけ
言い残して昨夜どっかに行っちゃったみたい。
実家に電話すると おじいちゃんが対応してくれるんだけど、
そのたびにバイクとハチと石垣の話を聞かされんのよ。
きっとネタだから、あんたも気をつけなよ。」
って、大根芝居でアパートの大家さんのふりをして
追い返したいと思います。
JUNIOR
聞いてくれるかい?
おれが若いころの話。
おれはよう、兵隊だったんだ。
あの忌まわしき太平洋戦争で
メリケンのアーミーとドンパチやってたんだ。
そんときに上官にボッコボコにされた話を
今日は聞かしてやるよ。
立ち話も何だから
まぁ、座んな。
・・・って、もう座ってんじゃねぇか!
えっと、どこまで話したっけ?
まだ何も話してねぇよ、べらんめぇ。
おれが兵隊だったころの話だよな。
ある日、上官から隊の集合が掛かったんだ。
なんてことは無いよ。
集合が掛かんのは日常茶飯事だ。
ビシッと整列してるおれたちに向かって
ふんぞり返った上官が言ったんだ。
「我が大日本帝国は、今まさにメリケンに対し
最後の追い討ちを仕掛け、大勝利を納め
この幕を閉じる寸前まで来ておる!
そんな勝利を目前とした状況で
重要なカギを握るのはイチにもニにも『情報』だ!
自軍に劣勢となる隊を知れば応戦する。
優勢たる隊を知れば援軍を願う。
敵軍の奇襲を事前につかめば、これを対策することが可。
憩(いこ)う時と場を知れば、こちらの奇襲が可。
自軍と敵軍の戦歴・戦況・戦略、これらの情報把握が
我が軍に大勝利をもたらすこととなる。
さて、そこでだ。
情報を無線機によって収集するも一手だが、
無線機はメリケンに盗聴される可能性が高い。
しかし、幸いなこと先日のメリケンの偶然たる猛攻により
我々の無線機は完膚無きまでに叩きのめされた。
よって次なる情報入手の手段は『交通』だ。
本部・本隊・分隊とを情報でつなぐ『交通』こそがカギを握る。
その交通を戦車・軍用車でまかなうのも
これまた戦火における定石であるが、
戦車・軍用車は道なき戦場において通行ルートが限られる。
そして何より貴重な燃料を大量に要する。
うちのアパート近所にある『水まじりガソリン』とウワサされる
ガソリンスタンドですら、レギュラーがリッター154円というのが現状だ。
どうあれ戦車・軍用車は困難だ。
そこでだ!
最終手段、バイクでの往来を考案した。
これならば小回りも効くうえに燃費も都合がよい。
しかしながら問題がひとつ。
バイク運転資格者は、我が軍において手薄である。
ここにバイク運転資格者を集う!
この中にバイク運転の経験者はおるか!」
こんな具合にだよ、
上官はおれらに助けを求めたんだよ。
おれは迷わず名乗り出たよ。
これが日本勝利のきっかけになれば
おれは勲章もんだからよ。
「山田二等兵!自分はバイクに乗れるであります!」
いつも睨(にら)みばっかり効かしてる鬼上官も
こんときばかりは、おれに対して
救世主を見つめるような眼差(まなざ)しなんだよ。
その眼差しのまんま、もうひとつ訊いてきたんだ。
「貴様は どんなバイクに乗っておったんだ!」
ここでもおれは迷わず答えたよ。
「はい!『自転車』であります!」
気付いたら、おれは軍用医療所の寝台の上。
仲間が言うには、「す!」の字のコンマ2秒後には
自信満々のおれの左頬に上官の右ストレートが炸裂し、
抵抗する間もなく、そのままボッコボコにされたらしいんだけど、
おれは全然覚えちゃねぇよ。
それにしてもひでぇよな。
おれが生まれ育った下石村は
バイクといやぁ、自転車のことだったんだよ。
もっと言えば「ケッタ」って呼ぶんだぜ。
調子のいい日にゃ「ケッタマシーン」って呼んじゃうよ。
いつしかバイクを「自動二輪」って聞いたときは
「お?てめえも調子いいじゃねぇか!」って思ったぐらいだ。
ちなみに下石村の林反物洗濯商店の前の
清一っつぁんの倅(せがれ)は
原付のことを どれでも「カブ」って呼んでるけどね。
あれはいただけねぇ。
まぁ、おれが言いてぇのはそんなもんだ。
今日はこれぐらいにしといてやるよ。
え?
孫の借金?
よっしゃ。
また次に来たときだ。
今度は おれがスズメバチに刺されたときの話
聞かしてやるよ。
あんたの話を聞くのは それからだ。
JUNIOR
P.S. 今回の相互カヴァー企画、
なんだか程よい罪悪感もあり
個人的には大好物です。
好きな飲み物は水とカレー。
人と話すと元気が出ます。
得意な球技は内野ノックです。