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米と水と人と野球に支えられた生活記録。
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初めて会ったのは幼稚園のころだったけど

彼は きく組で、僕は すみれ組だったので

共に何かをしでかした思い出は正直 覚えていません。

小学校に入学したときにお互い1年2組だったので

それからの親交だったと思います。

彼は阿庄で、僕は釜屋敷だったので

学校の帰り道は笹幸までの道のりを

よく共にしました。

学校から笹幸のほぼ中間地点の岩井自転車で

よく水休憩をしました。

同じスポーツ少年団で野球を始めて、

ベースランニングをする姿を見たコーチが

「ペンギン!」と呼んでから、

彼の愛称は定着しました。

5年か6年生のときに、彼と同じクラスの邦しゃんが

「コジマくん」と呼んでたので

僕はそれがポピュラーな呼び方なんだと勘違いして、

以降は そう呼ぶようになってました。

チーゴンが「少年団を辞めたい」と監督、コーチに言ったとき

すんなり退団できたのに対し、

彼が「少年団を辞めたい」と監督、コーチに言ったときは

必死の残留交渉を受けて説得される姿を見て、

僕は自分の野球の実力がチーゴン寄りか彼寄りかを冷静に判断したうえで、

僕は自分が傷つきたくないがために、それ以降においては

口が裂けても「少年団を辞めたい」という言葉は出すまいと決心しました。

中学校に進学後、帰宅してから毎日のように

下のグランドのバスケットコートに集まっては

「友の会」を開き、「あのコ、絶対お前を好いとうばい」と

淡いトークをしてました。博多弁なんて使ってはおらんかったけど。

ワタナベ先生に「犬食いするな!」って叱られてたのも この頃。

うちの中学校が「原則として3年間 同じクラブに所属する」というルールから

「1年から2年に上がるときに限って、他のクラブにFAしていいよ」に

システムチェンジしたとき、彼は僕に

「野球部に来うへん?」と声を掛けてくれた唯一の野球部員でした。

裏山の公民館の駐車場に停めた勉さんの車内で

夜空を見ながら。

なぜかロマンチックなシチュエーションで。

シチュエーションは ともかく、一目置くべき野球人からの

あの言葉は本当に嬉しかった。

高校は別々でしたが、高校野球最後の夏

岐阜放送で映し出される彼らの活躍ぶりを見て、

僕も大学でやれるとこまでやろうと決心しました。

高校卒業間近に携帯電話を持ち始めた僕が

あのころ彼と連絡先を交換してなかったら、

その後の盆や正月に、みんなと顔を会わせる機会は

無かったのかもしれません。

彼がいつもみんなをたぐり寄せてくれたから

僕は帰省するのが楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。

彼が居なければ、僕は大学入学後の帰省を

今ほど楽しみにはしてなかっただろうし、

大阪に戻るとき「よし。またがんばろう。」と

今ほど奮い立つことはなかったと思います。

友しゃんの結婚式で、新郎よりも新婦よりも親族よりも

会場の誰よりも号泣していた彼。

そんな彼が、公私ともに様々な困難を迎えながらも

ときには仲間の手を借り、ときには己自身が歯を食いしばり、

目の前の壁を打ち破り続け、ようやく今日のよき日を迎えることになりました。

単なる「行事」とか「祭事」とかいう言葉で片付けたくない。

僕にとっては年表に入れたいくらいの「歴史」。

僕が社会の先生だったら生徒たちに教えます。

そんな歴史の目撃者になれる喜び。

本当にありがとう。

さぁ、祝いますよ。

小島くん、薫ちゃん、

このたびは ご結婚おめでとうございます。

   まさやん
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プロフィール
HN:
JUNIOR
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1980/08/07
職業:
草野球選手
趣味:
趣味さがし
自己紹介:
           好きな食べ物は米とライス。
           好きな飲み物は水とカレー。
            人と話すと元気が出ます。
          得意な球技は内野ノックです。
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