さんぎょおの~いと~た~くましく~
みやこのちか~らあつまりて~。
我が母校・浪速淀川大学の大学歌。
思い出す青春の日々。
この時期、プロ野球のキャンプを見ていると
思い出すのは大学野球部での春合宿。
いつもと違うグラウンドで
豊かな緑に囲まれて
同じ志を持つ仲間と同じ釜の飯を喰らい
夜、灯(あか)りを消して
「お前、誰好きやねん?」て
お互いの心をつつきあう。
そんな日々。
大学時代、毎年3月に突入すると
徳島の山奥へ僕たちは搬送されました。
そこから始まるエンドレス合宿。
期間は10日間ぐらい。
エンドレスちゃうやん。
球場は徳島県で高校野球の予選に使われるような
野球専用の恵まれた環境。
球場スピーカーから音楽やアナウンスを流すことも可能で
ウォーミングアップやフリーバッティングの時間になると
自宅から持ち込んだ音楽を流しました。
ギンギン盛りのハタチ前後が好む音楽と言えば
無難なところでJ-POPであり、
おのずと選曲もそうなってくる。
もっぱら演歌好きな斧さんは
いつも耳栓をしながら練習をしていました。
このウソはいつか斧さんの孫に会う日が来たら
「きみのおじいさんはね・・・」って吹き込んでやろうと思ってます。
僕は音楽に飽き足らず
昼休みになると、バックネット裏のアナウンス室にこもり
「ん~?ど~でしょ~?
本日のトゥデイは何曜日だ~?
天気は大変ウェザーですね~?」
と当時のジャイアンツの監督のモノマネをしてました。
偶然通りかかった散歩中の幼稚園児たちが
「ナ~ガ~シ~マ~カ~ン~ト~ク~」って声援をくれたもんだから
僕らしく無視しておきました。
練習が終わると楽しい楽しい晩ごはん。
当時の僕は休日の朝ごはんに
1個80円のハンバーガーを6個ぐらい食べるような
非常に残念な胃袋だったため、
いざ練習が終わったとなると
悟空のような食欲で次から次へと
きゅうり以外をバクバク食べてました。
いつも僕の目の前で食事をしていた斧さんは
「見てるだけで腹いっぱいや・・・」と
茶碗半分ぐらいのごはんと
小鉢のヒジキを食べ終えたぐらいで満足してました。
僕は逆に斧さんの食の細さを見ながら
「間違いなくこいつシンナーを吸っとるな」と思い
身辺調査を行ないましたが
不思議なことに結果はシロでした。
晩ごはんが済むとミーティング。
チームが団結するために、
勝つために、
個々が選手として成長するために、
個々が人として成長するために、
監督を始め、首脳陣が説く教えを、
僕は右耳でその教えを聞き取り
左耳から流れ出ぬよう、左手で抑えてたら
左手に跳ね返った言葉が
その反動で右耳から逃げ出してしまいました。
ミーティングが終わると風呂風呂風呂。
次から次へと大浴場で
1日の疲れと汚れを洗い流す。
我が野球部では古くからの伝統で
「風呂はティンティンのでかいもん順」
という慣(なら)わしがあったもんですから
一番風呂は常にヒデジローでした。
自らのマグナムを左肩に担いで湯船につかる
ヒデジローの姿は圧巻そのもので
下級生からは「ガンキャノン」の異名で恐れられていました。
風呂の順番の件(くだり)は冗談としまして
このヒデジローは1学年下でありながら豪傑なキャラで
宿舎の女子トイレに何のためらいもなく不法侵入し
用を足すような男でした。
僕が「ヒデジロー、そこ女子便所やぞ」と促すと、ヒデジローは
「どうりで・・・男子便のアレ(小便器のフォルムをジェスチャー)が・・・
無い・・・」と
納得の表情を浮かべてました。
ヒデジローにとって、女子トイレは
男子ウンコ専用トイレだったと思われます。
合宿中のある日、僕は同部屋の林さんと大浴場に向かうと
2コ下のタツヤが一人で先風呂していました。
当時、タツヤは入学前から練習に参加しており
合宿にも同行していました。
この時期にタツヤの同学年はひとりもおらず、
しかも正式な入部前ということで
僕たちもどこか「お客さん」扱いするような部分もあり
タツヤにとっては妙な戸惑いがあったと思います。
そんな複雑な状況を解決することも合宿の醍醐味。
林さんと僕は体を流しながら積極的にタツヤに話しかけ
次第に打ち解け始めました。
そんな会話をしてるうちにタツヤが
「ずっとええ天気続きですね。
明日も晴れるといいですね。」
すると林さんが
「明日はどうやろな?
ジュニア、明日は天気どうや?」
僕は夕方のニュースを思い出し
「明日も大丈夫や言うてましたよ。」
林さんは窓を指差し
「ほんまか?ちょっと空見てこいや。」
僕は「え?」という顔をして
「いやいや。外は真っ暗で何も見えませんよ。」
すかさず林さんがリピート。
「ええから。見たらわかるわ。」
そうなれば体育会。
先輩の言うことに対しては「ハイ」か「イエス」のみ。
僕は窓をガラガラと開けて夜空を取材しに行きました。
当然、空模様が晴れなのか曇りなのかは知るよしもなく
先ほど出てきた窓に戻れば
ちゃんとカギが掛かってる始末。
僕はもちろん全裸。
3月とはいえ、夜風は僕のティンティンを
イタズラになびかせる。
幸い、外から回り込んだ家族風呂の窓が開いていたため
なんとかそこから生還することができました。
再び大浴場に戻ると
林さんはタツヤに
「あんな大人になるなよ」と大爆笑を添えて諭(さと)している。
合宿中は僕たちが宿舎を借り切っていたため
他の宿泊客は不在だったんですが、
あのとき もしも家族風呂に他のお客さんがいようものなら
僕は公然わいせつ罪で即現行犯逮捕され、宿舎を後にし
そこから更に過酷な合宿が始まるとこでした。
僕が大学4回生になる春のこと
それまで2度の春合宿でお世話になっていた
国民宿舎が廃業することになりました。
その国民宿舎の斡旋によって近所の宿舎をご紹介いただき
4回生の春も徳島の同じ球場で合宿をすることができました。
その合宿途中、地元の新聞社が取材に来ました。
内容としては、宿舎が廃業するにあたって
これまでの思い出話を教えてくれませんかという取材。
そこで僕はチームを代表し、上記にわたる思い出を語りました。
ご察しのとおり、ばっさりカットされましたがね。
なにはともあれ、僕に最高の思い出を与えてくれた春合宿。
そして最高の野球部。
今日も野球が大好物です。
JUNIOR
みやこのちか~らあつまりて~。
我が母校・浪速淀川大学の大学歌。
思い出す青春の日々。
この時期、プロ野球のキャンプを見ていると
思い出すのは大学野球部での春合宿。
いつもと違うグラウンドで
豊かな緑に囲まれて
同じ志を持つ仲間と同じ釜の飯を喰らい
夜、灯(あか)りを消して
「お前、誰好きやねん?」て
お互いの心をつつきあう。
そんな日々。
大学時代、毎年3月に突入すると
徳島の山奥へ僕たちは搬送されました。
そこから始まるエンドレス合宿。
期間は10日間ぐらい。
エンドレスちゃうやん。
球場は徳島県で高校野球の予選に使われるような
野球専用の恵まれた環境。
球場スピーカーから音楽やアナウンスを流すことも可能で
ウォーミングアップやフリーバッティングの時間になると
自宅から持ち込んだ音楽を流しました。
ギンギン盛りのハタチ前後が好む音楽と言えば
無難なところでJ-POPであり、
おのずと選曲もそうなってくる。
もっぱら演歌好きな斧さんは
いつも耳栓をしながら練習をしていました。
このウソはいつか斧さんの孫に会う日が来たら
「きみのおじいさんはね・・・」って吹き込んでやろうと思ってます。
僕は音楽に飽き足らず
昼休みになると、バックネット裏のアナウンス室にこもり
「ん~?ど~でしょ~?
本日のトゥデイは何曜日だ~?
天気は大変ウェザーですね~?」
と当時のジャイアンツの監督のモノマネをしてました。
偶然通りかかった散歩中の幼稚園児たちが
「ナ~ガ~シ~マ~カ~ン~ト~ク~」って声援をくれたもんだから
僕らしく無視しておきました。
練習が終わると楽しい楽しい晩ごはん。
当時の僕は休日の朝ごはんに
1個80円のハンバーガーを6個ぐらい食べるような
非常に残念な胃袋だったため、
いざ練習が終わったとなると
悟空のような食欲で次から次へと
きゅうり以外をバクバク食べてました。
いつも僕の目の前で食事をしていた斧さんは
「見てるだけで腹いっぱいや・・・」と
茶碗半分ぐらいのごはんと
小鉢のヒジキを食べ終えたぐらいで満足してました。
僕は逆に斧さんの食の細さを見ながら
「間違いなくこいつシンナーを吸っとるな」と思い
身辺調査を行ないましたが
不思議なことに結果はシロでした。
晩ごはんが済むとミーティング。
チームが団結するために、
勝つために、
個々が選手として成長するために、
個々が人として成長するために、
監督を始め、首脳陣が説く教えを、
僕は右耳でその教えを聞き取り
左耳から流れ出ぬよう、左手で抑えてたら
左手に跳ね返った言葉が
その反動で右耳から逃げ出してしまいました。
ミーティングが終わると風呂風呂風呂。
次から次へと大浴場で
1日の疲れと汚れを洗い流す。
我が野球部では古くからの伝統で
「風呂はティンティンのでかいもん順」
という慣(なら)わしがあったもんですから
一番風呂は常にヒデジローでした。
自らのマグナムを左肩に担いで湯船につかる
ヒデジローの姿は圧巻そのもので
下級生からは「ガンキャノン」の異名で恐れられていました。
風呂の順番の件(くだり)は冗談としまして
このヒデジローは1学年下でありながら豪傑なキャラで
宿舎の女子トイレに何のためらいもなく不法侵入し
用を足すような男でした。
僕が「ヒデジロー、そこ女子便所やぞ」と促すと、ヒデジローは
「どうりで・・・男子便のアレ(小便器のフォルムをジェスチャー)が・・・
無い・・・」と
納得の表情を浮かべてました。
ヒデジローにとって、女子トイレは
男子ウンコ専用トイレだったと思われます。
合宿中のある日、僕は同部屋の林さんと大浴場に向かうと
2コ下のタツヤが一人で先風呂していました。
当時、タツヤは入学前から練習に参加しており
合宿にも同行していました。
この時期にタツヤの同学年はひとりもおらず、
しかも正式な入部前ということで
僕たちもどこか「お客さん」扱いするような部分もあり
タツヤにとっては妙な戸惑いがあったと思います。
そんな複雑な状況を解決することも合宿の醍醐味。
林さんと僕は体を流しながら積極的にタツヤに話しかけ
次第に打ち解け始めました。
そんな会話をしてるうちにタツヤが
「ずっとええ天気続きですね。
明日も晴れるといいですね。」
すると林さんが
「明日はどうやろな?
ジュニア、明日は天気どうや?」
僕は夕方のニュースを思い出し
「明日も大丈夫や言うてましたよ。」
林さんは窓を指差し
「ほんまか?ちょっと空見てこいや。」
僕は「え?」という顔をして
「いやいや。外は真っ暗で何も見えませんよ。」
すかさず林さんがリピート。
「ええから。見たらわかるわ。」
そうなれば体育会。
先輩の言うことに対しては「ハイ」か「イエス」のみ。
僕は窓をガラガラと開けて夜空を取材しに行きました。
当然、空模様が晴れなのか曇りなのかは知るよしもなく
先ほど出てきた窓に戻れば
ちゃんとカギが掛かってる始末。
僕はもちろん全裸。
3月とはいえ、夜風は僕のティンティンを
イタズラになびかせる。
幸い、外から回り込んだ家族風呂の窓が開いていたため
なんとかそこから生還することができました。
再び大浴場に戻ると
林さんはタツヤに
「あんな大人になるなよ」と大爆笑を添えて諭(さと)している。
合宿中は僕たちが宿舎を借り切っていたため
他の宿泊客は不在だったんですが、
あのとき もしも家族風呂に他のお客さんがいようものなら
僕は公然わいせつ罪で即現行犯逮捕され、宿舎を後にし
そこから更に過酷な合宿が始まるとこでした。
僕が大学4回生になる春のこと
それまで2度の春合宿でお世話になっていた
国民宿舎が廃業することになりました。
その国民宿舎の斡旋によって近所の宿舎をご紹介いただき
4回生の春も徳島の同じ球場で合宿をすることができました。
その合宿途中、地元の新聞社が取材に来ました。
内容としては、宿舎が廃業するにあたって
これまでの思い出話を教えてくれませんかという取材。
そこで僕はチームを代表し、上記にわたる思い出を語りました。
ご察しのとおり、ばっさりカットされましたがね。
なにはともあれ、僕に最高の思い出を与えてくれた春合宿。
そして最高の野球部。
今日も野球が大好物です。
JUNIOR
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プロフィール
HN:
JUNIOR
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1980/08/07
職業:
草野球選手
趣味:
趣味さがし
自己紹介:
好きな食べ物は米とライス。
好きな飲み物は水とカレー。
人と話すと元気が出ます。
得意な球技は内野ノックです。
好きな飲み物は水とカレー。
人と話すと元気が出ます。
得意な球技は内野ノックです。
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